「巧く生きる」を取り入れたらどうだ?という話

mitchell_desu2007-02-06



なかなか日記が更新できないので、今日は【後輩A:仮名モトヤマ】へのメールをちと加工して、それをupしてみますです。

ええ、明らかな手抜きですが、なにか?ww

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ちょっと冷静に考えて、モトヤマも「巧く生きる」を取り入れたらどうだ?という話です。

モトヤマは、「善く生きる」については、間違いなく実践してる。 しかし、「巧く生きる」についても、一度冷静に考えてみてはどうだというオレからの提案です。

確かに、政治屋という生き方は、やっぱり見苦しい。
モトヤマも政治屋は嫌いだろうが、オレも嫌いだ。
たとえばこんなん読むと、ウンウンと思う。


▽コミュニケーション能力をウリにする人が醜悪な理由

・政治能力を取り柄にする人間たちの繰り広げる愚行
極めつけは、たとえばビジネスとかで、「みんなで協力して新しいマーケットなりサービスなりを創造しよう」と言って集まるときに、マーケット自体、サービス自体を創造することよりも、創造されたマーケットにおいて、自社がおいしいポジションを獲得することばかりに力を入れる人たちの醜悪さ。


やたらと根回しして、飲みニケーションして、こそこそ耳打ちして、目配せして、言外に微妙なニュアンスをにおわせて。。。。そんなことばかり。自分の分け前を少しでも大きくすることばかりにエネルギーを費やすものだから、肝心のパイがちっとも焼き上がらない。というか、パイの奪い合いばかりにエネルギーを使ってしまって、パイをおいしく、大きくすることに割り当てられるエネルギーがしょぼいもんだから、できあがったサービスは、かけた工数ほどにすばらしいものにはまずならない。

しかし、だからといって根回しやパワーゲームには背を向け続けていても良いものか? こんな意見もある。長いけど、読む価値あると思うよ。

▽優秀な人材に変身するキッカケに出会うか、未熟なまま老いていくか

もちろん、坂本君の器が小さければ、芦屋氏の仕掛けた政治ゲームは、逆効果になる。
坂本君は、「世の中は腐っている」と思いこみ、ひねくれた人間になってしまうかもしれない。
上司の言うとおりにしているだけのつまらない人間になってしまうかもしれない。


しかし、世の中が無菌室であることを期待するのは、控えめに言って、世間知らずだ。


不毛な政治ゲームが少しでも減るように心がけながらも、現実的には、政治ゲームには政治ゲームで対抗しながら、自分の理想を実現していかなければならないことを、肝に銘じて生きていくべきだろう。

根回しゲーム等の技術は、残念ながら、やはり必要だ。
目的は、根回しだけ長けて、自分の私利私欲を拡大させようとする醜悪な輩を打破するためだ。

同様に、こんな風に根回しやパワーゲームを取り入れる必要も説明できる。

▽「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し

そもそもの間違いは、どこから来ているのか?それは、人間の本質が「論理の機械」であることを前提としていることから来ている。論理的な正しさというのは、利害と感情の構造を組み立てるときの、脇役であって、それを中心に据えてしまうのは、本末転倒意味不明である。家来が殿様の席に、どっかりと腰を下ろしているようなものだ。


論理的に正しければ、相手は納得するのか?そうじゃないだろう?感情と利害の構造をうまく調整することによってのみ、人間は納得するのであり、論理的に正しいから納得するというのは、あくまで、感情と利害の調整が終わったあとの話である。完全に優先順位が間違っている。土台を作らずに家を建てようとしているようなものだ。


論理は、あくまで、利害と感情の構造を組み立てるための道具でしかないのだ。要するに、人間が生きる理由、人間が働く理由、いや、人間の利害と感情に関わる一切の行為の理由は、論理的な正しさなどからは生じない。一切は、利害と感情の構造から生じているのである。

"Nobles Oblige"(ノブレス・オブリージュ)という言葉がある。
直訳すると、「貴族の義務」。…別にモトヤマに「貴族になれ」とか言ってるんじゃない。意訳すると「他の人より、少しでも力を持っているのなら、それは人のために使うべきである」ということ。

また、こんな言葉もある「正義なき力は暴力なり」。やっぱり正しいことは大前提だ。ただし、それを巧く使わなくては、せっかく持っている力を人のために使えないのではないか?

平野啓一郎さんの「巧みに生きるか、善く生きるか」を巡って

若い人たちを見ていて僕はいつも、とにかく生きのびてくれよ、とんでもないことも色々あるこの世の中で何とかサバイバルしてくれよ、といつも願う。気がついたら放り込まれていたこの世の中で「サバイブすること」こそがとりあえず最初に大切で、「善く生きる」のはサバイブしてかなり余裕が出てからでいい、と僕はあえて言い切ってしまおうといつも思っている。

オレが思うに、モトヤマは営業マンとしては今や国内営業NO.2かと思う。よって、そうした力を持った人間は、その力を正しく、かつ巧く用いる義務があるのでは?と思う。

確かに、こんなこと言ってるオレ自身は、決して立派な人間ではない。
巧く立ち振る舞えてるかと聞かれれば、そんなことは無い。やっぱりオレの中の「正義」に従順でいたいし、それこそが、オレが生まれた意味だと思ってる。オレの「正義」で、どれだけ周囲とぶつかったかは・・・まぁ説明の余地ないよねw

でもオレは今年、意識して「巧く生きる」を取り入れたいと思ってる。根回しやパワーゲームを取り入れてやろうと思っている。それは、なんだかんだ言って周囲の協力を取り付けなくちゃ大きな仕事はできないからだ。

人がひとりでできることには、残念ながら限界がある。

ただしオレは信じてる。
この新しい力が、もっと大きな善を為すそのときに、必ず役に立ってくれるということを。

オレはやってみるつもりだ。
もし仮に、少しでもその気が沸いてきたら、モトヤマも少しだけ「巧く生きる」を取り入れたらどうだ?という話でした。

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ペパチェさんの日記、思っきしパクらせてもらってますw
・・・ま、いいよね☆

 ▽ペパチェさんの「ノブレス・オブリージュ


 ▽梅田望夫さんの「巧みに生きるか、善く生きるか」を巡って」