「近代産業のわかりにくさへの嫌悪」が分かりやすすぎて腑に落ちなかった件

福耳コラム「近代産業のわかりにくさへの嫌悪」が私にはすっきりしませんでした。そこで

典型的な「間違った意見を押し通すときに頻繁に使われるポピュラーなテクニック」な気がするなぁ。いや意見が違うとかじゃなく、展開の不公正さという意味で。→http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080103/1199312777

ブクマコメを残しました。するとid:fuku33先生から

id:mitchell_desuさん、それはつまり、一部の悪徳商人を取り上げて商業・近代産業を賎業であるかのように思いたがる心性が、商業的・経営スキルを理解できない側にあるということでしょうか。

というお返事を頂きました。うーん。真意をどこで伝えようか迷ったんですが、さすがに先生のコメント欄だと「汚された」と感じたファンの方が嫌がるかと思い*1、参照先リンクも不便なので別スレとしてエントリーに上げてみました。

■このエントリーを私なりに整理してみます

まず冒頭で、

グラシャーノ氏はなんであんなに資本主義を目の敵にするんだろう

と始め、エントリーを通してグラシャーノ氏の心理を推測していくという内容です。その推測の過程で、タバコ屋のボッタクリおばさんと特定の家が急速に長者になることが理解できない老婆という極端な2事例をあげて、

共同体の中でのビジネスと、市場広域化以後のビジネスは全く同じではないし、工業技術が原理を知らない人から見たら魔術であるように、商業・産業・経営技術 も知らない人から見れば魔術であり、しかも相手は富み自らは貧しければ、悪しき魔術に見える。グラシャーノ氏もそうなんだろうか。

と結論というか仮設を立てて、冒頭の疑問を閉じます。
加えて、ご自身の主張として、

然り、経営はひとつの芸能であり、技芸であり、アートであるから、遊芸者のように差別されることもあらん。しかしそのアートがあってこそ、多くの人が生きていける資源を人類は環境から取り出せているのではないでしょうか。

と結ばれています。この主張については、全く異論を挟む余地はありません。むしろ「経営はひとつの芸能であり、技芸であり、アートである」という一節は、ついついツールと考えてしまいがちな私にとって爽やかな気づきを頂きました。

■私がモヤモヤした理由

私がすっきりしないのは、その結論ではなく、むしろ結論を導くまでのロジック展開といいますか、グラシャーノ氏への理解までの経緯が分かりやす過ぎないか?軽すぎないか?という部分でした。

グラシャーノ氏は、私は全く知らない人物です。しかし、fuku33先生がわざわざその心理を推測するぐらいの方ですし、特にエントリーの中に注釈もないことから想像するに、経営学以外の学者の先生か、もしくはよほどの美人さんか*2ではないかと考えました。いずれにせよ「ある一面では、エントリーに上げてまで心理を推測したいぐらいいいとこ持ってるのに、なぜこと資本主義に関しては極端なのか。残念だ」というタイプの方だと思うんですね。少なくとも、エントリー全体からdisってる感じも無いし、なんらかのリスペクトを感じてる方なんだろうと。軽くあしらうような対象ではなかろうと。*3

しかし、そうした相手の心理を推測するのに、検討対象として挙げたのが、「タバコ屋のボッタクリおばさん」と「特定の家が急速に長者になることが理解できない老婆」ではちょっとあんまりだろうと。彼女らが資本主義に対して理解が浅いというのはある意味当然であって、よほど象徴的なエピソードと対になっていないのであれば、対象としてはふさわしくないのではないかと。検討対象としては軽すぎるだろうと。*4

■名セリフが台無しでは?

これじゃまるで、fromdusktildawn氏が「正しい意見を間違っているかのように印象づけるテクニック」で述べている文章テクニックではないかと。

ある正しい意見Aを主張している人が10人いたとする。
その10人のうち、一番的外れな議論をしている1人の意見を採り上げ、
それがいかに的外れであるかを証明してみせることで、
まるで正しい意見Aが間違っているかのような印象を人々に与えることができる。


これは、実社会において間違った意見を押し通すときに頻繁に使われるポピュラーなテクニックだ。

ではないだろうかと。
つまりここでは、おばさんと老婆という、資本主義について的外れな理解をされている方々の意見を採り上げ、それがいかに的外れであるかを証明することでグラシャーノ氏の意見が間違っているような印象を与え、レトリック無しでも十分に美しい「経営はひとつの芸能であり、技芸であり、アートである」という一節を、むしろ霞ませてしまう結果となってしまったのではないかと考えました。
そのため、冒頭に述べたように、ブクマのコメント欄に 

典型的な「間違った意見を押し通すときに頻繁に使われるポピュラーなテクニック」な気がするなぁ。いや意見が違うとかじゃなく、展開の不公正さという意味で。→(URL略)

残した次第です。これがコメントの真意です。

■大ドンデンが!

ん。我ながら完璧な展開だな。disってるという誤解も、これなら生じないだろう と思っていた矢先にid:fuku33先生からこんなコメントを頂きました

グラシャーノ氏というのは、お察しかも知れませんが僕がファンである、あるアーティストの方ですが、一度お目にかかったときに、資本主義嫌悪的な価値観をお持ちだったので、こちらはすっかりショボーンだったのです。自分は経営学に誇りを持っているつもりなので、そういうことがあるとへこみます。

ちょwwww アーティスト???
だったら、「タバコ屋のボッタクリおばさん」と「特定の家が急速に長者になることが理解できない老婆」を検討対象とするのは妥当じゃないかっ( ゚Д゚)
ってことはグラシャーノ氏って高齢の女性!?
という訳で、ここまで書いた割には、見当違いのエントリーとなってしまった次第です(´;ω;`)
なのでブクマのコメントも

「経営はひとつの芸能であり、技芸であり、アートである」という一節は、ついついツールと考えてしまいがちな私にとって爽やかな気づきを頂きました。

に変更したいところですが、そうすると「ミッチェル書いてあること違うじゃん!」という新しいツッコミが成立してしまうので、一応、そのままでということで。
何か見当違いな点等ありましたら、コメント欄にダメ出し頂ければ幸いです。

 ☆ ☆ ☆

真実って解釈の積み重ねでしかないワケで、新しい視点や気づきを頂くってのがブログ巡回の醍醐味ですね。ミッチェルでした(´∀`)ノ

*1:杞憂でしたらすいません><

*2:これならその心理を推測したくなるのはよく分かる!あ、でもそれだったら「女史」かw

*3:グラシャーノ氏、花村萬月氏、竹内洋氏、いずれも著書は読んでません orz

*4:論文的に言えば、「なぜ検討対象としたのか」の章が抜けてますね というツッコミになるんでしょうかw